国会で安全保障関連法案を「違憲」と断言、日本記者クラブで会見する早稲田大学の長谷部恭男教授(左)と慶応大学の小林節名誉教授=Jiji Photo

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「敵基地攻撃」は憲法の定める自衛権の範囲内だが、憲法学の通説が邪魔。安倍政権が退陣し「改憲不要」論が出ているが、有事には通用しない。国会で政府が「自衛隊は軍隊であり、合憲である」と宣言すればいい。

日本は、軍事超大国・中国や、挑発行為を続ける北朝鮮などと隣接する地理的環境に置かれている。外交・安全保障問題は、常に注意深い配慮が求められる重要領域である。

その外交・安全保障政策と大きく関わるのが、改憲問題である。興味深いことに、安倍政権下の2015年安保法制の導入によって、切迫した安全保障政策上の課題が処理されたため、かえって憲法9条を改正する必要性がなくなった、という指摘が頻繁になされている。

安保法制の達成感があったからだろう。安倍首相自身も、自衛隊を憲法に明記するだけの改憲案を、決して現状を変えるものではないと説明しながら、推進した。ところがそのような妥協的な改憲案も、野党のサボタージュにあって、実現しなかった。結果として、なぜ現状を変えるわけでもない改憲を実現するのに、これほど時間と労力をかけなければいけないのか、という印象が、国民の間に広がることになった。

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自衛隊違憲論の牙城である憲法学者の中から、国民の多くが合憲だと考えている自衛隊の合憲性をあらためて明記する改憲など必要ない、などといった意見が出てくるくらいだ。国民の多くが、9条改憲の必要性を見出しにくくなっているのは致し方ないことだろう。

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現実には、国連PKO(平和維持活動)に自衛隊を派遣するだけで、国会論争が迷走を始める。おかげで安倍政権ですら、南スーダンから自衛隊を撤収したまま、二度と部隊派遣を議論することすらしなくなってしまった。このことからも明らかなように、実際の自衛隊の作戦行動が始まれば、現状の憲法学通説に依拠した法解釈が限界を見せることは必至である。

なぜそうなのかと言えば、国際法上の自衛権の理解が、憲法学通説によって、日本国内で混乱しているからであり、自衛権を行使する主体としての自衛隊の位置づけが、全く混乱しているからである。

筆者は、憲法学通説の憲法9条理解がゆがんでいる、と指摘し、自衛隊は「軍隊」として合憲であると主張してきている(拙著『ほんとうの憲法』『憲法学の病』『はじめての憲法』を参照)。そこで本稿では、あらためてなぜそう言えるのかについて述べたうえで、9条改憲問題に関して今なすべきことについて、私なりの意見を述べる機会としたい。

政府が、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の秋田と山口への配備を断念する発表をしてから、代替策が検討される過程で、「敵基地攻撃能力」という言葉が頻繁に用いられるようになった。ミサイルを迎撃できないのであれば、敵の攻撃が開始される前に、敵の攻撃能力を除去することが一層必要となる、という議論が見られたからである。

「敵基地攻撃能力」の法的理解については、政府は、憲法が認める自衛権の範囲内で実施しうるとしている。国際法上は、攻撃の意図が確認されたり、攻撃行動の着手があったりすれば、国連憲章2条4項が禁止する「武力行使」の発生が存在すると言えるため、違法行為に対する対抗手段としての自衛権の行使も合法化されると考えることが一般的である。自らが破壊されるまで自衛権を行使してはいけないとしたら、侵略行為を抑止して国際秩序を維持するために導入されている法制度としての自衛権の存在価値はなくなる。

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残念ながら、戦後の日本の外交安全保障政策を迷走させたイデオロギー論争の構図が残存しているために、不毛な言い争いだけが繰り返される図式がまかりとおっている。

高齢化の度合いが高い国会議員やマスコミの指導者層こそが、いたずらに昭和の図式をあてはめて、現代世界の事象を理解しようとする傾向を顕著に持っている階層である。そのため日本では、おそらくまだ数十年は、このような昭和の図式のあてはめによる不毛な論争が続いていくのだろう。その間に、外交安全保障政策が停滞するだけでなく、国力の健全な充実も阻害されていくだろうことは、非常に残念なことである。

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停滞を打破することができるのは、有事が現実に発生したときだけだろう。有事が発生すれば、奇妙で曖昧であるがゆえに実務的な運用が不可能である憲法学通説あるいは左翼マスコミの「自衛権」解釈が砂上の楼閣であることが判明するだろう。自衛隊は軍隊ではなく、それ以外の謎の何ものかである、といった維持できない言い逃れが、現実の前に無残にも打ちひしがれていくことが明らかになるだろう。

ところが有事の際にそのような事態が引き起こす不利益を、まず引き受けなければならないのは、現場の自衛隊員である。憲法学者や左翼マスコミ指導者層ではない。これは極めて不条理なことであると言わざるを得ない。

「自衛隊は軍隊ではない!」といった左翼的な言説を真に受けると、国家が行使しているように見える自衛権の行使が、実は自衛官一人一人の自然権的な自己保存の権利によって遂行されるものにすぎない、といったおかしな話が出てくる。

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もしこのような異常な状態が、本当に日本国憲法が定めていることであるとするならば、まだ納得することもできる。ところが実際には、憲法は、このような異常事態を指示してはいない。これは、昭和に作り出された大学教員人事と官公庁人事の慣行を惰性的に維持することに自己利益を見出している一握りの人々の共謀が作り出している事態にすぎないのである。

「戦力」は「軍隊」一般ではない

それにしても、今後もあと数十年、昭和世代の方々のイデオロギー対立の図式をやむをえない事態とみなし、日本の外交安全保障政策の停滞を不可避と考えることは、本当に絶対に甘受しなければならない運命論的な事態だろうか。

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そのことをふまえれば、憲法学通説の不当な憲法解釈のいびつな独占を是正するために、政権担当者が9条に関して行うべきただ一つのことは、次のことである。

それは、国会で、内閣総理大臣など政権担当者が、「自衛隊は、軍隊であり、合憲である」と宣言することだ。

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実際に憲法9条2項が否定しているのは、あくまで「戦力(war potential)」である。9条二項で例示されている「陸海空軍」は、「戦力」としての「陸海空軍」のことであり、「軍隊」一般の禁止を意味していない。

もともとのGHQ草案の「war potential」という語を、1946年当時の日本政府が「戦力」という法的緻密さに馴染まない日本語で翻訳してしまったところから混乱は広がった。だが、いずれにせよ、この「戦争潜在力(war potential)」としての「戦力」に内包されている「戦争(war)」の概念は、9条1項で放棄されている「戦争(war)」である。この意味での「戦争」は、日本国憲法に先立って国際法によって違法化された「戦争」だ。

日本国憲法は9条1項で「戦争(war)」を放棄し、9条2項で「戦争潜在力(war potential)」の不保持を誓った。簡明な話である。

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実はすでに過去の政府答弁でも、自衛隊は憲法上の「戦力」ではないが、国際法上の「軍隊」であるという理解が説明されている。(『内閣衆質189第168号』)ところが答弁自体が遠回しな言い方をしているために、国会議員の間ですら、理解が広がっていない。政府は、あらためて、「自衛隊は軍隊であり、合憲である」という立場を、明確に宣言するべきだ。

自衛隊の合憲性については、1973年長沼ナイキ訴訟の第一審において、札幌地方裁判所が違憲判決を出したことがある。その後、二審判決は統治行為論を採用し、最高裁判決は訴えの利益がないとして自衛隊の合憲性について判断しなかった。玉虫色の結果と言えるが、左派系団体の青年法律家協会に属していた一審の福島重雄・札幌地方裁判所の裁判官の意見を、永遠に全ての日本の憲法判断の根拠にしなければならないというのは、おかしい。

安倍首相は、砂川事件を引き合いに出して、自衛隊の存在の合憲性を擁護したことがある。批判を受けたが、的外れではない。砂川事件において、最高裁判所は、明示的に自衛隊を論じなかった。だが、自衛権の行使が合憲であることは明確に肯定した。したがって、自衛権を行使するための軍隊であるのなら、自衛隊は、合憲なのである。

内閣法制局は、長沼ナイキ訴訟第一審という一つの司法判断を正面から否定することを避けたいのかもしれないが、自衛隊は合憲であるという立場をとっていることは確かなのだから、全てを曖昧にすることはできない。むしろ内閣総理大臣は、自衛隊法に定められた自衛隊の最高指揮監督者として、自衛隊が、自衛権を行使する「軍隊」として合憲であり、長沼ナイキ訴訟第一審が誤解した憲法上の「戦力(war potential)」ではない、ということをはっきり明言するべきだ。

正しい憲法解釈に対する理解が深まれば、国民投票を経た9条改憲など必要なくなる。余った力は、より具体的な政策に振り向けたり、あるいは緊急事態条項などの他の改憲案をめぐる議論に振り向けたりすればいい。

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ちなみに私自身は、9条の改憲をするのであれば、純粋に解釈を確定させるだけの目的で、「前2項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない。」という一文を9条3項として挿入すれば、それで十分だと考えている。

ただこの私の追加条項案は、すでに存在している1項・2項の解釈を正しいものに確定させるためのものだ。正しい憲法解釈の理解が広がるのであれば、本来は、改憲は不要である。

本当に必要なのは、イデオロギー的な憲法学通説の駆逐である。それが国際法にも合致した正しい解釈を確定させるための条項の挿入であるのなら、憲法改正をすればいい。だがもし正しい解釈が確定し、改憲が不要になるのなら、それでもいい。

どちらにしても布石を打つのは、「自衛隊は、軍隊であり、合憲である」、という政府の宣言だ。

自衛隊が合憲か違憲かは、未来に向けた抽象的な問いではない。過去と現在の日本のあり方に関わる問いだ。政府がはっきりと正しい憲法解釈を示すことが、本来は当然である。

に効力が発したジュネーヴ諸条約第一追加議定書第43条は、軍隊とは、「部下の行動について当該紛争当事者に対して責任を負う司令部の下にある組織され及び武装したすべての兵力、集団及び部隊から成る」と定義する。

現実に照らして、自衛隊がこの定義の意味での軍隊であることに疑いはないはずだ。もし自衛隊に上官責任の原則がなく、内閣総理大臣を最高指揮監督者とする指揮命令系統(自衛隊法第7条)がないのだとしたら、自衛隊の根拠法である自衛隊法が違憲であるだけでなく、日本の統治形態は重大な欠陥を抱えた混乱したものであることになる。

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憲法は「反国際法」的態度を否定

冷静に日本国憲法を理解してみよう。日本国憲法は、その前文において国際協調主義を強調し、戦前の日本が国際法秩序を踏みにじって戦争の惨禍を招いたことを反省し、国際法にのっとった平和主義を推進していくことを誓っている。

それをふまえた憲法9条1項は、1928年不戦条約を無視した戦前の日本を反省し、武力行使の一般的禁止を定めた1945年国連憲章を遵守していくことを、その文言ではっきりと表現している。

日本国憲法が否定しているのは、戦前の大日本帝国の反国際法の態度である。

大日本帝国は、「戦争違法化」を導入した「国際法の構造転換」を無視し、自衛を理由にもちだしさえすれば戦争は合法になるかのような異論を唱えた。日本国憲法は、そんな大日本帝国が推進した「自衛戦争」なるものの存在を主張する反国際法的な見解を、否定している。

そこで9条2項は、「前項の目的を達成するため」、1項で放棄を宣言した「戦争」を行うための「潜在力」としての「戦力(war potential)」の不保持を規定した。「陸海空軍その他の戦力(land, sea, and air forces, as well as other war potential)」の表現で例示されて放棄されているのは、「戦争」を行うための潜在力である「戦力(war potential)」としての陸海空軍である。より具体的に言えば、国際法を蹂躙した大日本帝国軍を「戦力(war potential)」として解体するための国内法上の根拠規定として導入されたのが、9条2項であった。

ちなみに9条2項に登場する「国の交戦権(the right of belligerency of the state)」とは、国際法には存在していない概念である。それは、太平洋戦争中に真珠湾攻撃を正当化した信夫淳平ら大日本帝国の学者が標榜していた概念であった。したがって「交戦権」の否認とは、真珠湾攻撃を正当化した大日本帝国時代の日本の学者の否定であり、国際法に対する留保などではない。「交戦権の否認」は、日本の国際法上の態度に何ら影響を与えない。

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イデオロギー的な操作の産物

ところが憲法学通説を標榜する憲法学者たちは、1項の国際法に沿った自然な解釈も、2項で「戦力」という語句を見た後に、後付けで読み直して否定しなければならない、といった異様な逆さまの「ちゃぶ台返しの解釈」を主張する。それは、イデオロギー的操作の産物でしかなく、端的に言って、法解釈論として破綻している。

憲法学通説に従うと、自衛権の行使とは「自衛戦争」なるものの遂行なので、「戦争放棄」によって自衛権も否定されなければならないのだという。破綻した見解である。

「自衛戦争」なる概念は、国際法には存在していない。日本の憲法学だけに存在する概念である。その自分自身で作り出して維持しているにすぎない概念を理由にして、国際法の仕組みを否定しようとする憲法学通説のイデオロギー的事情にもとづく試みは、実は破綻を約束されたものでしかない。

「自衛権」の行使は、「自衛戦争」なる日本の憲法学者の創造物を行うこととは、違う。なぜ「自衛権」という日本国憲法では言及されていない国際法上の概念を理解するにあたって、国際法学者を無視し、憲法学者のイデオロギー的見解だけを信奉しなければならないのか。

慣習国際法に照らして、国際法上の「自衛権」には治安維持機能がある(たとえば森肇志『自衛権の基層』参照)。現代国際法では、違法なのは「侵略」行為であり、その違法行為に対する対抗措置として、「自衛権」及び「集団安全保障」が国連憲章で規定されている。

大日本帝国憲法時代の日本人が夢想した「自衛戦争」なる概念に固執し続けることは、ただ日本の憲法学にのみ残存するガラパゴス的な悪弊である。侵略という国際法上の違法行為に対する対抗措置が、「自衛権」の行使である。「自衛権の行使」をあえて日本の憲法学者にならって「自衛戦争」と呼び、そのうえで「戦争に良いものも悪いものもない」といった雑駁な印象論を結論とする主張には、実は何も法的根拠がない。

長谷部恭男・早稲田大学教授(元東京大学法学部教授)は、今年出版した著作(『憲法講話24の入門講義』)で、「war potential」を意味する憲法9条2項の「戦力」の不保持は、1項の「決闘」としての「戦争」の放棄と対応しているので、自衛権行使は合憲であり、自衛隊は合憲だと説明している。憲法学界の最高峰が、私の憲法解釈に近づいた証左として、私はこの動きを大歓迎している(ただし長谷部教授は、1972〜2015年の間の内閣法制局が集団的自衛権を違憲とみなしていたことだけを根拠にして集団的自衛権を違憲と主張しているが、これは長谷部教授自身の現在の9条理解とは整合しない)。

憲法学者を、日本政治に影響を与える重要な職能集団とみなさければならないような時代は、すでに終わっている。今の日本に必要なのは、その確認だけである。(敬称略)■

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